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初詣
〜麻生 凪様へ 相互リンクのお礼小話〜





 新年を祝う人々で溢れかえる神社の境内。
 その鬱陶しいほどの雑踏の中、ネジは、凛とした声でヒナタの名を呼んだ。

「ヒナタ様!」

 高く澄んだ子供の声が、ザワザワと騒がしい境内に響いた。
 時折、驚いた様子で振り返る大人もいたが、大概は視界に入らぬ子供を、気にも留めずに歩き去っていく。

「ヒナタ様…どこに行ってしまわれたのだろう?」

 ネジは、軽く息を切らせながら、不安そうな面持ちで周囲を見渡した。


 ヒナタは今、迷子になっていた。
 初詣に行くヒアシに付いてきていたのだが、どうも、途中で逸れてしまったようである。
 きっと今頃は、あの愛らしい顔を涙で曇らせ、その小さな胸を不安に押し潰されそうになっているに違いない。

「あの時、もっとちゃんと手をお繋ぎしておけばよかった…」

 ネジは、不甲斐ない己を責めた。
 ヒナタと逸れてしまうまでの至福の時間を思い出しながら、後悔するようにギュッと自分の手を握り締める。
 まだ背も低く視界がきかない状態では、あまりにも人が多すぎて、子供の影すら追う事が出来ない。

「ヒナタ様…きっとボクが見つけ出してあげますからね」

 固い決意とともにネジは、力強く呟いた。
 ヒナタと逸れたと思われる場所を重点的に捜してみようと、ぐっと目を凝らす。
 正月用におろしたばかりの紅い振袖と、柔らかな光沢をした黄色の帯を締めたヒナタの姿は、人ごみの中でも 十分に目立つはずだが見当たらない。
 こんな時、父のように白眼の能力が自在に使えれば、どんなにか役に立つだろうと、つい愚痴を零したくなる。
 修練をしているとは言え、まだ齢四つのネジの身体では、白眼の発動さえままならない。
 ネジの横を通り過ぎる親子連れや、兄妹で仲良く手を繋いで駆けていく子供たちの後姿を見送りながら、ネジの焦りはピークに達していた。

「その辺の屋台の店主に聞いてみるべきか? いや…それではきっと日向の一族の姫君が迷子なのだと公言する事になってしまう…。
いや、しかし! もしもヒナタ様の愛らしさに、とち狂った奴が、迷子なのをよい事にヒナタ様をかどわかしてなどいたら…!!」

 あらぬ想像に心を乱されたネジは、普段ならば決して見せない血走った目で、慌ててヒナタの捜索に集中した。
 ネジの必死の形相が功を奏したのか、間もなくして見覚えのある藍色の髪が、人ごみの奥に小さく見え隠れするのに気付いた。

「……。ネジ兄さまぁ…っく…ヒック。ネジ…兄さまぁ…」

 ネジが、その幼い声を聞き逃すわけはない。

「あれは…ヒナタ様?」

 ヒナタが必死にネジの名を呼んで、自分が来るのを待っている。
 その途端、ネジの表情が一変する。
『ヒナタ様が、ボクの名前を必死に呼んでいる。なんて可愛らしいのだろう。きっと涙を浮かべながら、ボクが迎えに来るのを待っているに違いない!』
 心の中で、そう確信したネジは、満面の笑みを浮かべて猛然と走り出した。

「ヒナタ様! ネジは此処にいます! 今すぐそちらへ参りますね!」

 ネジは、タタタッと足音も軽くヒナタの隣へと駆け寄った。

「ッ…ひっく。ネジ兄さま…?」

 待ちに待ったネジの登場のはずだったけれど、ネジの姿を見た途端に、ヒナタの表情がビクリと強張った。

「ヒナタ様、お待たせしました。お怪我はありませんか?」

 ニコニコと、それは嬉しげに話しかけてくるネジの様子に、ヒナタは怯えたようにフルフルと首を横へ振った。

「…ごめんなさい…ヒナタがひとりでこっ、こんな所で迷子になって…うっ…ヒック」

 ヒナタは、嗚咽まじりの声で、ごめんなさい…と繰り返した。

「お父さま…きっと怒ってる」

 ぽつり…と、それは哀しそうな眼で呟くヒナタに、ネジは思わず『可愛らしい方だ』などと、不届きな事を考えてしまう。

「大丈夫ですよ。ヒナタ様」

 背の小さなヒナタが、この雑踏の中で父親たちと逸れてしまったのはしかたがない事だ。
 流石のヒアシ様も、白眼の使い手たる宗家当主の自分が見失い、迷子にさせてしまった娘を叱責する事もあるまい。
 宥めるように微笑んだネジは、今にも泣き出しそうなヒナタの頭をそっと撫でてやる。

「でも…」

 ヒナタは、不安と安堵の入り混じった表情で口ごもった。
 必死に涙を堪えているが、目尻には涙の粒が溜まって、今にも零れ落ちそうになっている。

「ボクがお側にいますから、大丈夫ですよ」

 ネジは、ヒナタを安心させるように、さり気なく繋いだ手をギュッと握る。
 きっと独りで心細かったのだろう…ヒナタの指先は微かに震えていた。

「ごめんなさい…ごめんなさい…。ネジ兄さままで、お父さまに、怒られちゃう…」

 尚も謝り続けるヒナタに、ネジは妙な確信を持って断言した。

「ヒアシ様は怒りません。大丈夫です!」

 こんなに可愛い娘を、放っておいた父親の方がよほど悪い…ネジは心の中で呟いた。

「ヒアシ様は、先に行って待っていらっしゃいますよ。さあ、涙を拭いて…。ボクたちも行きましょう」

 ネジは、優しくヒナタの涙を拭ってやると、先を促した。

「ありがとう…ネジ兄さま」

 ようやく心が落ち着いたのか、ヒナタがはにかんだ様子で微笑んだ。
『…か、可愛い……』
 心の中で赤面しつつ、ネジはコホンと咳払いをして気を引き締めた。

「せっかくですから、そこの社にお参りしていきましょうか? もう少し、ヒナタ様の涙が止まるまで…」

 この時、ヒナタの身を案じるヒアシや、ネジに捜索を指示したヒザシの姿は、ネジの脳裏からキレイに締め出されていた。





 パンッパンッと二拝二拍手をしたネジは、目を閉じて神様にそっと祈願した。

「去年は、ボクをヒナタ様のお側つきにして下さりありがとうございました。今年一年が、良い年になりますよう…ヒナタ様と、これからもより一層身近に、一緒にいられますようお願いします!」

 真剣な表情のネジは、気迫の篭もった願い事をブツブツと呟く。

「ネジ兄さま?」

 ヒナタは不思議そうに小首を傾げて、ジッとネジの顔を見上げた。

「神さまにいっぱいお願いしたの?」

 先ほどまで泣きべそをかいていたのが嘘のようだ。
 ヒナタの愛くるしい瞳で覗き込まれ、ネジは、満更でもなさそうな表情で頷いた。
 涙をこすったせいで、ほんの少し目尻が赤くなっていたけれど、ヒナタの顔であれば、それさえも『可愛い!』の一言で片付けられた。

「そうですね。ヒナタ様の分も、よくお願いしておきましたよ。ヒナタ様はどんなお願いをしたのですか?」

 逆に聞き返されたヒナタは、一瞬考え込むような仕草をして、

「えへへ…ひみつだよ」

 と、照れ笑いを浮かべた。

「秘密…ですか?」

 ネジは、ヒナタの秘密を共有できないと言われて哀しくなった。

「あ! で、でも、ネジ兄さまになら、教えてもいいよ!」

 ネジは、よほど落ち込んだ表情をしてしまったのだろう。
 ヒナタは、慌てて首をブンブンと横に振って、ネジの機嫌を損ねないように、急いで秘密を告白した。

「うん…とね。ネジ兄さまが、ヒナタとずっと一緒にいてくれますようにっ! てお願いしたの。あの…そういうお願いってダメなのかな?」
「エッ!? そうですか…ヒナタ様のお願いは、そうなのですね! 大丈夫です。その願いは叶いますよ」

 途端に、表情を明るくしたネジは、鼻歌まじりにウンウンと頷く。
『新年早々、なんて良い事が起きるのだろう。ヒナタ様が迷子になったおかげで、二人っきりでお参りできて、尚且つ、こんなに嬉しい言葉をヒナタ様から聞けるなんて…』
 これ以上はないほど、上機嫌になったネジは、ようやく自分の役目を思い出した。

「そろそろヒアシ様のもとへ参りましょうか」

 ネジは、サッと自分の右手を差し出し、ヒナタが手を握り返すのを待った。

「うん! お父さま…怒ってないかなぁ?」
「そうですね…もしヒナタ様が、叱られてしまったら、ボクも一緒に叱られますよ」

 ヒナタの手が、しっかりと自分の手を握る感触を楽しみながら、ネジは愁傷な言葉でヒナタを慰める。

「ありがとう。ネジ兄さま」

 微妙に騙されている事にも気が付かず、ヒナタは、素直に感謝の言葉を返した。
 もう少し二人っきりでいたい…というネジの判断で、心配する親の気持ちも無視して、迷子ついでに寄り道をしていたのだが…。
 ネジと一緒にいられる事を、ヒナタは、純粋に喜んでいる。

「ヒナタ様! もう、ボクの手を離してはいけませんよ?」

 今度は、握った手を離さないように…。
 そう…ヒナタの横顔に見惚れるのは、家に帰ってからでも十分に堪能できるのだから……。
 そうして、ネジとヒナタは、繋いだお互いの手をもう一度確認して、雑踏の中へ進んでいったのだった。





 その頃、日向宗家の当主は、落ち着き無い様子で溜息を繰り返していた。

「ヒナタは、まだ見つからんのか…ヒザシ?」

 憮然とした声で、背後に控えている弟に確認する。

「…まだ、知らせは来ておりませんが…」

 ヒアシとは打って変わって、ヒザシの落ち着いた声が静かに答える。

「……まだか? 少し、遅すぎはしないか?」

 苛々とした声が、言外にヒザシを責めていた。
 ヒアシは、日向宗家の当主の勤めで、毎年こちらの神社に参拝し、一族繁栄祈願の為に、厳かな祈りとともに身を清めていた。
 特に今年は、ヒナタが三つになって初めて詣でる日とあって、ヒアシの気合はイツになく苛烈であった。
 しかし、当の主役であるはずの愛娘が、現在迷子になってしまっているのである。
 ヒアシの怒りと不安は、一見して表情には表れていないものの、その不機嫌なオーラは隠し様もなく、側近であるヒザシには、その心中が十分理解できた。

「今、ネジが探しておりますので、もう間もなく見つかるでしょう」

 分家の身分であるネジ親子も、周辺の警護も兼ねて同伴していた為、ヒナタがいなくなった時点で息子の仔ネジを捜索に出していた。

「くっ…、やはり幼いネジひとりに任せてはおけん。ヒザシ…お前もヒナタを探しに…否、私自ら探しに行くぞ!」

 とうとう辛抱できなくなったのか、ヒアシは、勢いよく叫ぶと、神仏への祈願もそっちのけで神殿を飛び出そうとした。
 その瞬間、足元に軽い衝撃を感じたヒアシは、フワリと身体を宙に浮かせていた。

「ヌッ!」

驚いたヒアシの耳元へ、ヒザシの諌めるような言葉が呟かれた。

「いけません…ヒアシ様には、まだお勤めが残っております。せめてあと一時は、こちらで神仏へのお祈りをして頂かねば…」

するりと立ち上がったヒザシが、勢いのついたヒアシの身体を難なく捉えると、足払いをかけて無理やり座らせていたのである。

「ヒ、ヒザシ! キサマ…」

弟に遅れを取った形になるヒアシは、顔を高潮させ、怒りの余り言葉を詰らせた。

「まったく、ヒアシ様の親馬鹿ぶりも重症ですね。大丈夫です。ウチのネジは優秀な子ですから、迷子のヒナタ様を見つけるくらいの事は出来ますよ」

屈辱に震えるヒアシを気にするでもなく、飄々と答えるヒザシに対して、

『お前のその親馬鹿ぶりを棚にあげおってからに! ネジを溺愛している貴様にだけは、言われたくないワァ!』

と、ヒアシが心の中で毒づいたのは、子供たちが仲良く手を繋いで帰って来る、ほんの少し前のお話……。










すいぞくかん 水乃えんり 筆
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