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回想 「お前には、ずっと憎まれていると思っていたのだがな……ヒザシ……」 ヒアシは、年相応の渋みを含んだ声で、苦笑まじりの言葉を吐き出した。 あれから長い歳月が過ぎていた。 当時の記憶は、今もまだあまりにも鮮明で、数日前の出来事のようにも感じられる。 あの日、日向の当主たる自分は、宗家の血を守る為にその血を分けた双子の片割れを失い…そして、初めて弟の本心たる遺志を知り、託された。 * * * * * 十年前。 幼かったヒナタが、雲隠れの忍び頭に誘拐されかけた事件がすべての発端だった。 三つになったお披露目をする為、宗家の嫡子が、堅固な守りの屋敷奥から出てくるのを待っていたかのように、あの事件は起きた。 間一髪のところで、駆けつけたヒアシによって、ヒナタは救出されたものの、事件は思わぬ方向へ動き出してしまった。 宗家当主の容赦ない一撃で、不埒な誘拐を企てた間者は絶命していた。 日向一族の受け継ぐ血継限界『白眼』の秘密を狙っての所業である事は明白だったので、それも致し方ない事のように思われた。 問題は、その間者が木ノ葉隠れの里と友好関係を築いたばかりの雲隠れの里の忍び頭だったという事実である。 無論、自国の忍び頭を殺害された雲隠れの里は憤慨し、里は緊迫した空気に包まれた。 里同士の戦を避ける為に、雲隠れの里が提示してきた譲歩案は、白眼の血継限界を持つ『日向宗家』の身体であった。 当初ヒアシは、その要望を受け入れるつもりでいた。 『私一人の命で、里が救えるなら…』 日向宗家の当主としての覚悟は、すでに出来ていた。 しかし、結果として死んだのはヒアシではなく、血を分けた双子の弟・ヒザシであった。 事件の後始末に、ヒザシは宗家の身代わりとなって死んだ。 決して、栄誉ある死ではなかった。 それにも関わらず、死ぬ直前のヒザシは笑っていた。 『ヒアシ様では、この役は勤まりませんよ。呪印の施された私の死体ならば、白眼の秘密も守られます』 『馬鹿な事を言うな!』 動揺を隠せずに叱責したヒアシの言葉も一笑に伏して、ヒザシは、分家である自らの遺体を使うようにと重ねて進言した。 『ネジは…、ネジはどうする! お前には、守るべき家族もいるではないか』 常に冷静であるはずのヒアシは、ヒザシを思いとどまらせようと本気で声を荒げた。 『ネジは、あの子は大丈夫ですよ。ヒアシ様にも、ヒナタ様がいらっしゃるではないですか』 そんなヒアシの様子を、苦笑混じりに頭を振ったヒザシは、視線を逸らす事無く真っ直ぐに見つめ返した。 『ネジには、ずっと情けない親の姿を見せていました…宗家だ分家だという立場にばかりこだわって、私は、自分が何を守るべきかを見失っていたんです。……こんな時になって、初めてその事に気がつくとはね』 ヒザシは、自嘲的に呟きながら、ふっと口元を綻ばした。 『雲隠れが要求しているのは、私の身体だ! お前がいく必要はないのだぞ。ヒザシ!』 雲隠れの里が要求していたのは、あくまでもヒアシの遺体である。 ヒアシは、己の身ひとつで事がすむならばと、潔く死ぬつもりだった。 いくら同じ顔をした双子といえど、弟を身代わりにする気など毛頭ない。 そんなヒアシの厳しい言葉にさえも、ヒザシは決して頷く事はなかった。 『宗家の当主たる貴方が死んでは、日向はどうなります? 嫡子のヒナタ様は、そのお立場を継ぐにはまだ幼すぎます…』 冷静に指摘するヒザシの表情が、真剣な光りを帯びる。 『しかし!』 ヒアシは、なおもヒザシの言葉を撤回させようと食い下がる。 『それでも、貴方を死なせたくないのですよ……兄さん』 当に自らの死を受け入れたヒザシは、どこか吹っ切れたように、静かな表情で笑っていた。 その瞬間、諌めるべき言葉を失ったヒアシは、呆然とヒザシの顔を見返すしかなかった。 * * * * * 道場に足を踏み入れたヒアシは、ゆっくりと室内を見廻した。 ヒザシが死を賜ったあの日以来、決して立ち入ることの無かった場所。 片割れとも言うべき弟・ヒザシを失った日から、二度と訪れる事もあるまいと思っていた。 何故、今になってこの場所へこようなどと思い立ったのか。 十年は、決して短い時間ではない。 自分も年老いた。 ただの感傷というには、深すぎる傷だというのに。 掃除の手が行き届いているせいか、塵も無く磨きこまれた道場。 木の匂いが染み付いた空気を、肺いっぱい深く呼吸をする。 「変わらぬ……。ああ、多少は、古びたか?」 修練する為の道場など、どこも変わらぬ作りをしているものだが、若かりし頃のヒアシはこの場所が気に入っていた。 宗家の跡継ぎにのみ許された場所。 ヒアシが体重をかけた足元で、木板の床がギシリと、音をたてる。 思い出すのは、いつも傍らにあったもう一人の自分。 誰よりも近い、血を分けた、魂の半身。 記憶の中の弟は、宗家当主であるヒアシに対して、常に恭しい態度を持って仕えてきた。 几帳面なまでに徹底されていた主従関係は、得てして二人が双子の兄弟である事も、偽りであるかのように感じさせていた。 兄弟の情などと言うモノがあったとは想像もしていなかった。 宗家に生まれながら、分家としての身分に落とされ、呪印を刻まれ…弟には恨まれているものとばかり思っていた。 事実、心の奥底で憎まれていたのだろう。 決して口にする事は出来なかったが、ヒザシの額に刻まれた印を見るたびに、ヒアシは苦い悔恨の念にかられていた。 一族の掟の下で呪印が施されたあの日から、ヒアシとヒザシ兄弟の立場は別個のモノになった。 能力の差など、つけようもない幼く未熟だったというのに…、宗家に生まれながらも、ヒアシよりも遅く生まれたという理由でヒザシは分家の人間となった。 日向の血を守る為。 一族の中で、何よりも重きを置かれた掟であった。 事件の特殊性から、ヒザシの死は、表立って弔う事ができなかった。 ヒザシの死の理由は、決して知られる事はなく、永遠に裏舞台へ葬られた。 木ノ葉隠れの里の立場を守る為…否、日向を守る為に、秘密裏に運ばれた事件。 父親がそんな扱いを受けたのだから、息子のネジが恨むのも致し方ないだろう。 宗家の当主たるヒアシの立場から、分家のネジに事実を告げるのは容易い。 だが、悲しみに染まった幼子に、真実父親の秘めていたその想いが理解できるとは思わなかった。 だからこそ、ヒザシから最後に託された言葉を、当時まだ幼かったネジに告げる事はせずに機会を待った。 そして、十年の月日を経てようやく伝えるべき日が巡ってきた。 日向宗家の当主としてではなく、ヒザシの兄として…ネジの伯父として、ヒザシから託された遺志を伝えた。 「ヒザシよ……遅くなったが、ようやくお前の言葉をネジに伝えられたぞ」 ヒアシは、虚空に向かって、あたかも眼前にヒザシがいるかのように呼びかける。 「お前の息子は、私たち以上の才能を持っている。これからもっと強くなるだろう……ヒナタやハナビ以上にな」 ヒアシは、グッと口元を引き締め、しばし目を閉ざす。 これから口にしようとしている言葉が、いったい何を意味しているかヒアシは重々承知している。 考え続けていたコトである。 その結論を、ヒアシは、まずヒザシに伝えたかった。 既に亡くなった者に対して、馬鹿らしい行為なのかもしれなかったが、ヒアシは構わなかった。 「分家の者であるにも関わらず、ネジは、独学で日向の秘術を習得した。ならば、その力…どこまで伸びるか、宗家当主たる私が責任を持って助力し、見届けよう」 本心から発した言霊は、すべからく生きるだろう。 「いずれネジは、日向の全てを継ぐ者になるやも…な…」 もともとひとつだったモノが二つに別れたが為に起きたコト。 長く染み込んだ羨望と軽蔑の確執は、並大抵のコトでは昇華されまい。 ならばこそ、無理やりにでも掟を捻じ曲げる事も、時には必要だろう。 守らなければならない。 大切な者たちをこれ以上悲しませない為にも。 宗家と分家の確執が、幼いヒナタやネジに惨い思いをさせてしまった。 ヒアシは、ふいに眼を細め、小さく微笑んだ。 「ヒザシよ。私があの子等に、当主の座を譲った後ならば、お前と共に、のんびり祝杯をあげる事ができるな」 その時こそは、張り詰めた緊張の糸をほぐす事を自分自身に許そう。 自分たちで成しえなかった思いを、子に託すのは、親の傲慢なのかもしれないけれど……それでも。 望むのは、ただひとつ。 共に、笑いあう家族の姿。 |
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すいぞくかん 水乃えんり 筆 無断転載・複製・直リンク禁止 |