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苦い記憶 三十畳ほどの広さの板の間の中央で、日向 ヒアシは、厳しい表情を浮かべ寡黙に瞑想していた。 代々、日向の跡継ぎが修練する道場。 そこは、彼が唯一ひとりきりになれる数少ない安息の場所だった。 「――――こちらにおいででしたか。ヒアシさま」 抑揚の無い若い男の声が、彼の周囲を心地よく満たしていた静寂を乱す。 名を呼ばれ、日向家の当主は、不機嫌な面持ちで無粋な侵入者を振り返った。 「ここには来るなと言っておいたはずだが? 何のようだ……ヒザシ」 鋭い視線で見据えた先には、己と寸分たがわぬ容貌をした双子の弟・ヒザシが、伏し目がちに控えていた。 本来、分家の身分の者は、宗家の許可無くこの道場に立ち入る事は出来ない。 「申し訳ありません」 軽く首を垂れたヒザシは、道場の中には入らず、入り口の手前で律儀に待っている。 「用件をさっさと言え」 姿勢を崩さぬまま、ヒアシは、尊大な口調で先を促す。 そんなヒアシの態度には慣れているのか、淡々とした口調でヒザシも唇を開いた。 「貴方が、今朝方から何も言わずに屋敷からいなくなったと、皆が騒いでおります」 ヒザシは、ゆっくりと顔をあげ、ヒアシの返答を待っている。 口さがない家人たちからの視線を避け、ようやく落ち着いた気分を味わっていたというのに。 ヒザシは、わざわざそんな用件を伝える為に、自分を探しに来たのか。 「フン、お前も暇だな。子供でもあるまいし……そんな理由で一々騒ぐなど皆に伝えておけ」 「ならば、ほんの一言で済むのですから、大人の思慮を働かせて、どこに行くかくらい言伝て下さい。私とて、屋敷内を気軽に探し回れる身ではないのですから」 溜息まじりに肩を竦めたヒザシは、はんなりと言い返す。 「ムッ……」 双子ゆえに、年を経ても自分とそう変わらぬ顔に諌められ、らしくもなく言葉に詰る。 いくら兄弟であっても、当主に対して不遜な言葉を漏らしたヒザシを、ヒアシは叱責するべきだろうかと考えながら見据えた。 「屋敷にいるのに、文句を言われる筋合いはないはずだがな……」 瞑想を邪魔されるのは好かぬ。小さく溜息を吐くと、ヒアシは立ち上がった。 「もうすぐお世継ぎが生まれるという時期に、父親になる貴方が落ち着かない気分なのは分かりますが、もう少し自重して行動して下さい」 ヒザシは、ヒアシの心中を慮ったように、静かに諭す。 「子を産むのは、妻の仕事。それを無事に生ませるのは、産婆の役目だ。首もすわらぬ赤子のうちでは、修行するわけにもいかんだろう? ならば、今のところ男親にする事もあるまい」 ヒアシは、他人事のように答える。 実際の話、臨月間際の妻の側にいたところで、何をしてやれるというのか。 子を宿したと分かった時から妻のツワリは酷く、腹の膨れていく様を間近に見てきたが、正直なところ、ヒアシにはまだ、父親になる実感など湧いてこない。 「初産で心細い思いをなさっているでしょうに……せめて奥方さまの側にいて差し上げては?」 ヒザシは、気の毒そうに目を細め、手持ち無沙汰なヒアシにそれとなく提案をする。 「クドイ! お前には、無用の心配だ」 ヒアシの目が、無遠慮な言葉を吐くヒザシを咎めるようにスッと細められる。 役立たずと分かっていながら、妻の側についていて何になると言うのだ。 「それでも、声をかけてあげて下さいませ。少なくとも、私の妻はそれを喜びました」 珍しくヒアシの言葉にたいして、ヒザシが食い下がる。 「ほう? お前が私に向かって説教か? それは兄よりも一足先に、父親になれた余裕か?」 嘲るように呟いたヒアシは、入り口近くで歩みを止め、足元に控えているヒザシを見下ろす。 「そのようなつもりはございません。しかし、いつの時代とて出産は大仕事。良き子を産んでもらう為にも、妻の不安を取り除くのも夫の勤めと存じますが……ご不快に思われたのならば、申し訳ありません」 ヒザシは、至極真面目な表情で答えると、口をつぐんだ。 「フン。随分と、私の子を気にかけるのだな。……お前の息子を、ただの道具として日向に縛り付けるだけの存在だぞ」 呟くようなヒアシの言葉に、ヒザシの表情がほんの一瞬、瞬きの間ほどの間、凍りつく。 日向宗家の当主の嫡子が、ある一定の年齢まで成長したとき、分家の中か歳の近い子供がお守り役として選ばれる。 そのもっとも有力な候補が、今年ひとつになったばかりの従兄弟に当たるネジであった。 「ヒザシ……分家の子は、決して宗家には成れぬのだぞ? 男であれば、尚更日向の掟から逃れる事は敵わぬ」 ヒアシは厳しい視線を、ヒザシに向けた。 「存じ上げております」 「お前には、跡継ぎたるネジがいる。私の子供が成長した時、お前はソレを施される日を黙認できるのか?」 ヒアシは表情も変えずに、言い捨てる。 「私は……私たち分家の者は、宗家の意志に従うだけです」 淡々と答えるヒザシの声は、かすかに苦い響きを含んでいた。 「やめろ! 心にも無い言葉などいらん。今の立場に、不満が無いなどというつもりか?」 「貴方にお使えする為だけに存在するのです。私のような分家の者は、その為の『道具』なのですから」 ヒザシは、一息にしゃべると、初めて宗家に忠誠を誓った時のように、ヒアシの足元へ深く額づく。 「それが、私が生かされた理由です」 地面から、自嘲気味の掠れた声が漏れる。 宗家前当主の次男として生まれたヒザシは、必然的に兄であるヒアシの『道具』となる運命であった。 日向の血を、稀有な血継限界の能力を、護る為の予防策。 双子の弟など、不要と思われてしかるべきだったところを、たまたま生かされたに過ぎない。 割り切った事のように答えるヒザシを見下ろしながら、ヒアシは問うべき言葉を選んでいた。 『己の子が呪印を刻まれた後でさえ、お前はそう言えるのか?』 しかし、ヒアシの問いは、言葉にはならなかった。 「……もういい。暫くひとりになりたい。下がれ」 ヒアシは、踵を返すと、後ろを振り返りもせずに、言葉のみでヒザシを追い払う。 「―――ハイ。失礼致します」 ヒアシの背に向かって律儀に礼をしたヒザシは、音も立てずに庭の奥へ消えて行った。 背後の気配が完全に消えてから、ヒアシはゆっくりと眉間に寄った皴を指で揉み解す。 人間が選び取れる運命など、ほんの一握りしかないのかもしれない。 生きる為の術は、得てして他人を生き辛くする。 どんなに望んでも、叶わぬ夢もあるのだから。 「我々は、日向の血から決して逃れられぬ。ゆえに、掟は受け継がれるだろう」 呟いたヒアシの声は、誰に聴かれることもなく、広い板の間に吸い込まれていった。 |
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すいぞくかん 水乃えんり 筆 無断転載・複製・直リンク禁止 |