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節分





「よいかヒナタ…、アレに対して、決して手加減してはならぬ」

 黄昏が迫ってきた時分に、ヒアシは、幼い娘に厳しく言い含めていた。
 日向本家の玄関先に佇むふたりの周囲は、刻一刻と薄暗い闇に包まれていく。

「で、でも…当たったら痛いよ…」

 戸惑ったような視線を父親に向けたヒナタは、いつにないヒアシの威圧的な姿を見て、その愛らしい顔を曇らせた。

「鬼を相手に、情けは無用だ! 可哀想だから、強く投げないようにしようなどと、甘い考えを持つのではないぞ! しっかり家から追い出しておかないと、お前のような小さな子供は、鬼に捕って喰われてしまうのだぞ?」

 ヒアシは、至極真面目な口調で、今夜の儀式の重要性をヒナタに語った。

「えっ? 食べられちゃうの!?」

 ヒナタは、驚いたように眼をまるくする。
 脅すような含みのあるヒアシの声に、疑うことを知らぬヒナタは、いつも通りの素直な反応を返した。

「そうだ…コレは、ただの年中行事ではないのだ。お前も、もう三つになったのだから、今年からはしっかりと自分の力で、鬼を祓わなければならないのだぞ!」

 ヒアシの言った言葉は、まったくの迷信(作り話)であったが、ヒナタには十分な説得力がある。

「はっ、ハイ! 父さま…」

 健気に頷いたヒナタであったが、怯えた表情を浮かべて玄関の外を見つめた。

「では、そろそろ儀式の始まる時刻だ…さぁ、ヒナタ! お前の手で鬼を祓ってみなさい」

 気合の入ったヒアシの言葉に勇気付けられ、ヒナタは、恐る恐るといった様子で、小さな手に豆を一掴みした。

「オッ、鬼は〜〜そとぉ!」

 ヒナタは、懸命に玄関の外へ向かって豆を投げた。
 目に見えぬ異形の者相手のせいなのか、怯えまじりのヒナタの豆撒きは、いっそ弱々しい声で頼りない。

「それでは手ぬるいぞ、ヒナタ! よく見ておきなさい、豆を撒くとはこうやるのだ」

 ヒアシは、豆を一掴みすると、着物の袂から鍛え上げた二の腕を見せて、滑らかに振り上げる。

「ハッ! 鬼は外!!」

 鋭い呼気とともに手の中の豆は、美しいフォームを描きながら玄関外の闇に吸い込まれていった。
 バラバラバラ…と、盛大な音をたてながら、ヒアシの投げた豆は、勢いよく家の外へばら撒かれた。
 大量の豆の飛礫が、玄関前の石畳にぶつかる音と同時に、庭先から幼い少年の驚いた声があがる。

「わっ!?」
「ネジ! もっと後ろへ下がっていなさい」

 鋭い口調で、自分の息子へ指示を出したヒザシは、素早い身のこなしでネジを庇うと、ヒアシの容赦ない第二手に備えた。

「節分の鬼役って、こんなに大変だったのですね」

 ネジは、自分の腕に当たった小さな豆の意外な威力に、感心したように目を丸めている。

「豆撒きだからと言って油断するんじゃないぞ。本気になったヒアシ様ならば、石飛礫を投げているのと同様に考えなさい」

 ただの厄払いの年中行事であったが、何事にも真面目に取り組む性格のヒアシの事…軽く見ていたら、それこそ怪我をする可能性も否定できない。
 先ほどの第一手で、ヒアシが投げた場合の豆の届く範囲はだいたい読めた。

「相手の呼吸を見なさい…そうすれば、必要以上の動きをせずとも、攻撃を受け流せるはずだ」
「ハイ! 父上」

 賢しいネジは、尊敬する父親の言葉に素直に頷いた。
 そんなヒザシ親子のやり取りが聞こえたのか、家の中から嘲るような失笑が洩れる。

「今年の鬼は、随分と逃げ腰だな…どうしたヒザシ? それでは、せっかくの節分の慣わしが台無しだぞ?」

 ヒアシは、尊大な口調でヒザシを挑発する。

「…くっ、分家だからと言って、幼いネジにまでこの仕打ちとは…あんまりです。ヒアシ様…」

 分家である自分達を節分の鬼役に抜擢したヒアシが、何を考えているのか想像するのも嫌になってくる。

「父上! ボクは、大丈夫です。頑張って立派に勤めをはたしますね」

 キラキラと元気に瞳を輝かせ、ネジはやる気も満々といった様子で、飛んでくる豆を待ち構えている。

「ネジ…」

 ヒザシは、性格の良い我が仔の言葉に、グッと咽喉を詰らせた。

「さぁ、ヒナタ。存分に豆を撒いて日向に巣食う厄介な鬼を追い払うぞ!」
「…はっ、はい…。でも、ネジお兄ちゃん、ちゃんと避けてくれるかな…」

 ヒナタは、大好きな従兄弟が痛い思いをしなければいいな…と、父親に聞こえない声でポツリと呟いた。

「白眼!!」

 ヒアシは、おもむろに血継限界の能力を発動させた。
 クワッと、鋭い眼差しを向け、鬼役がいるであろう庭先周辺をくまなく透視する。

「ヒザシよ! ネジを庇いながら、どこまで役目を果たせるかな」

 不敵に呟いたヒアシは、修練を積んだ身のこなしで第二手を振るった。


 そして、宗家と分家親子の一方的な攻防戦が、小一時間ほど続けられた。
 いい加減、子供たちが真剣勝負の豆撒きに疲れてきた頃、ようやく終了の兆しが見えてきた。

「父さま…もう豆が…」

 ヒナタが、申し訳なさそうに空になった入れ物をヒアシに見せた。
 一時間にも亘る豆撒きは、幼いヒナタにとってかなりの重労働だったのだろう。
 クタクタになっているのが、傍目にもわかるほど疲労困憊していた。

「むっ? そうか…今年は思ったほど豆を用意しておかなかったのだな」

 ヒアシは、無念そうに呟くと、うっすらと額にかいていた汗を拭った。
 激しく豆を撒いていた父親の姿を間近で見ていたヒナタは、小首を傾げてそっと視線を外に向けてみた。
 庭先は、これでもかと言うほどの大量な豆が敷き詰められ、美しい敷地が見るも無残な有様となっている。

「…まあよい。あとの始末は任せたぞ、ヒザシ。さあ、ヒナタ…お前は、暖かい部屋に戻りなさい」

 ヒアシは、冷気の入り込む玄関の戸を閉めると、眠そうな眼をこするヒナタを伴って、豆撒きで清め終わった庭先を後にした。


 一方、屋根の上へ避難していたヒザシ親子は、真冬の寒空の下で、仲良く肩を寄せ合っていた。

「ネジ…すまん。お前にまでこんな苦労を…」
「そんなことはありません、父上! ボクは、こうして父上と一緒に、ヒナタさまにお仕えできて嬉しいです」
「ネッ…ネジ!」

 ヒザシは、愛しい我が仔のできた答えに、再び咽喉を詰まらせた。

「お前を宗家に生んでやりたかったな……」

 ウルウルと涙を滲ませながら、ヒザシは心底から思い続けていた言葉を、哀しげに呟いたのであった。





すいぞくかん 水乃えんり 筆
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