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ふわりふわりと白い布の波間に漂う半覚醒の意識。

寝乱れた敷布の中に、長く伸びた藍色の髪が広がり、ひとりの少女が、象牙のようななめらかな肌を覗かせてしどけなく横たわっていた。

サアァァー

シン…と、静寂に包まれた空間へ、微かに届く降りだし始めた小さな雨の音。
つかの間の休息に、うとうとまどろんでいたヒナタは、眠りの淵からふうっと息を吹き返したように、うっとりとその目蓋を震わせる。

「…ネジ兄さん?」

戸惑ったように呟く声が、薄暗い寝室へ静かに響く。



『心音』



几帳面に並べられた二つの枕。
その一方に、緩慢な動作で手を伸ばして触れると、まだ残る人の温もり。
傍らにあるはずの人影を求めて、ヒナタの視線がゆるりと空中をさ迷った。
夢現に霞む薄紫の瞳が、僅かばかり不安げに揺れる。

「雨? あ…シャワーの音…かな?」

耳をすませると、浴室から響くタイルを弾く水音。
汗に濡れた身体を流す為に部屋を出て行ったのか。
壁向こうの風呂場に動く馴染んだ人の気配に、ふうっと…安堵の溜息を漏らす。
ヒナタは、柔らかな羽毛が詰め込まれた布団に、ぽすん…と藍色の頭髪を落とした。

「つ……」

僅かな振動が、思いのほか痛みを伴って下肢へと響き、ヒナタは小さく苦痛の声を漏らした。
身体の芯に残る微熱が、先刻までの熱い逢瀬の記憶を鮮やかに思い起こさせ、ヒナタの頬をそっと朱に染める。

「はぁ…まだ少しダルイ…かな」

太腿の付け根に走る鈍い痛みと、豊かな胸元につけられた鮮やかな赤い色の刻印が、再び、餓えたようにヒナタの下腹部をじんと疼かせる。

「やだ…もうっ…」

ヒナタは、自身の身体の変化を恥じ入るように呟くと、ぶるりっと勢いよく頭を振る。

互いにぎこちなくではあったが、情熱の赴くままに交わした愛の営み。
肉体を繋ぐ行為が、これほど心の充足感を得られるとは想像もできなかった。
けれど、何故だろう?
目覚めた時、ひとり部屋に残された事に、酷く心が乱される。

「ネジ兄さん…まだ、入っているのかな?」

壁一枚隔てた向こうにネジがいると分かっていながら、放っておかれる奇妙な寂しさにそわそわと心が支配される。
とはいえ風呂場まで追いかけていくのも憚られ、ヒナタは落ち着かなく布団の中で身を捩らせた。
浴室に入ったネジは、まだ上がって来そうにない。
手持ち無沙汰になったヒナタは、コロリと寝返りを打ちながら、シミひとつ無い白い天井を見上げる。
他人の目を気にする事無く恋人たちが互いに触れ合うには、こういった仮の宿が、気楽で安全だったから、そこを選んだのだけれど。
見慣れない場所。
その居心地の悪さに、深く溜息を吐きだす。
ふいにスルリと立ち上がったヒナタは、赤い印のちらされた胸を隠すようにシーツを覆い、素足のまま部屋を横切り窓際へ佇んだ。
カーテンの隙間から窓の外を覗けば、静かに霧の雨が降りだしていた。

「雨? やっぱり降りだしていたんだ。こんなに寒いのに…霙まじりになったら、今夜は雪になるかも…」

暖房をつけていない寝室の気温も、冬の雨の冷気にあわせるように低くなり、むき出しの素肌は勿論の事、爪先から血の気を奪って冷えていく。

「雪…になるのかな…」

ぽつり…と呟く声は、どこか哀しげで、またいつ逢えるとも分からない恋人との短い逢瀬を想う。
温かな寝床を抜け出して、墨色に沈む景色を、見るともなく眺めていると、知らず心の隅々までも、暗い雲に覆われていくようだった。

「…そんな姿でいたら、風邪をひいてしまいますよ?」

いつの間に背後へ立っていたのだろう。
ヒナタの背後からすっと逞しい二の腕が伸びてきて、当然の事のように、その固い胸の中に抱き寄せられていた。
湯上りのほかほかと上気した顔のネジが、眉を顰めてヒナタの顔を見下ろしていた。

「ほら…肩がこんなに冷えてしまって…」

心配そうにヒナタの柔肌へ指を這わせ、ネジは、つ…と冷え切ったその白い首筋へ唇を寄せた。
ビロードのような柔らかな舌先が、ヒナタの味を確かめるようにチロリと肌をひと舐めする。
その温かな感触と、甘噛みされるくすぐったさにゾクリと背を震わせ、ヒナタは、甘く芳しい吐息で応えた。
再び熱を帯び始めた下腹部が、きゅうん…と愛しい人との交わりを求めて切なく締まる。

「ん…ネジ兄さん…」

潤んだ瞳で見上げれば、ネジもまた、欲情した餓えた雄の視線で、ヒナタを見つめていた。

「あ…ん…」

背後から臀部に押し付けられたネジの熱い塊り。
その固く逞しい感触に、ゾクゾクと快楽の期待が高まる。

「ネジ兄さん…寒いの。暖めて…」

ヒナタは、細い腕を伸ばして、ネジの手のひらを自身の豊かな胸へと導く。

貴方の刻印を、もう一度この肉体へ刻んで欲しい。
不安を抱く隙間もないほど、ほんの一瞬も疑う時間を与えないで…。

「ここにいますよ…貴女の傍に…」

とくんとくん…規則正しく脈打つ心の臓。
皮膚を通して伝わるその温かなリズムに、急に鼻の奥がツンと刺激され、両の眼から涙が溢れそうになる。

「もっと…」

愛しい人の性急な誘惑に、ネジは余裕の表情で悪戯っぽくクスリと笑う。

「ここは寒いから…布団に戻りましょう。ヒナタ様…それとも、まだ時間はありますし、湯船で暖めて差し上げましょうか?」

「ネジ兄さん。のぼせても知らないから…」

風呂から上がったばかりのくせに意地悪を言うネジを、ヒナタは拗ねた声できゅっと唇をすぼめた。
ネジは、もう一度しっかりと華奢な身体へ腕を回し、真摯な光りを宿した瞳で、震えている恋人の顔を覗き込む。

「愛しています…心から…」

ネジは、ヒナタの細い頤を持ち上げると柔らかく呼吸するその唇へ、熱く火照った自身のそれを寄せ深く口付けした。

「あ…ん…」

甘く蕩ける吐息を漏らし、ヒナタは、うっとりと目蓋を閉じた。



今この瞬間だけは、あなたの情熱に溺れていたい――。



窓の外では、音もなく…白い霧のような冬の雨が、冷たく世界を濡らしていた。


(2006.11.20 果糖 空 様へ献上)






すいぞくかん 水乃えんり 筆
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