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雨の日のネジヒナ 企画に献上の作品




 茹だるように暑かった夏の日照りの日々も、すっかり影を潜めた晩夏。

 日向ネジは、生まれ持った天賦ノ才と、より一層の努力を重ね今では上忍にまで昇格していた。
 ヒナタもまた、一足遅れて中忍の試験に合格し、自らの力を周囲に認めさせつつあった。

 月日を経て――幼かった子供たちは、それぞれの歩むべき道を見定め、日向の過去の因縁は、一応の決着を向かえていた。





『干天の慈雨』





 ザアアー。

「雨は、当分やみそうにありませんね…」

 激しい音をたてて降りしきる雨を見て、溜息混じりに呟くと、ネジは、背後で震えている少女を振り返った。

「うん…そうみたいだね。こんなに雨脚が強くなるなんて…嵐みたい…」

 ネジの言葉に、ヒナタも、困ったように顔を曇らせながら頷いた。
 ネジとヒナタは、出先で突然の夕立に見舞われ、日向の屋敷へ帰宅する事も出来ずに立ち往生していた。
 途中見つけた廃屋で雨宿りしたものの、二人はすでに服の中までビッショリと濡れている。

「まったく…午後には天候が崩れると言っていたのに…」

 ネジはどこか憮然とした口調で、窓の外を睨みつけながら呟いた。

 ネジとヒナタは、宗家当主の命で、里の外れにまで使いに出ていたのだが、その家人がなかなかどうして曲者らしく、話し相手欲しさにお茶だ菓子だと理由をつけては、書簡を渡す用事をすませた二人を帰そうとしなかったのである。
 ゴロゴロと鳴り始めた雷の音に、二人が警戒を強めた頃には時既に遅く。
 日中、あれほど明るく晴れ渡っていた青空が、瞬く間に雨雲に覆われ、突風とともに大粒の雨が激しく大地へ打ち付けてきたのだった。
 さしものネジも、これほど空が荒れるとは予想がつかなかった。

「これだけ激しく夕立が降れば、里の水不足も少しは解消されるでしょう」

 思わぬ足止めをくったのが腹ただしいのか、豪雨と化した外の天気を窺いながら、ネジは大きく溜息を吐いた。
 壊れかけた窓枠から吹き込む風にのって、埃っぽい土の香りが、薄汚れた室内に流れ込みクンと鼻の奥をついた。
 乾いた大地が、降りそそぐ恵みの雨をグングンと吸い込んでいくのが見て取れる。

「そうだね…ちょっと大降りだけど、乾燥した大地の緑には、恵みの雨かな?」

 廃屋というよりか、ただの古い物置のような狭い場所で、ネジの横に寄り添うカタチで立っていたヒナタも、服についた水滴を払いながら頷いた。

「…クスッ」

 ネジの隣で、ふいにヒナタが小さな笑い声を漏らす。

「ヒナタ様?」

 ネジは、怪訝な表情で脇に立つヒナタの顔を振り返った。
 ネジの身長よりも頭ひとつ低いヒナタは、楽しげに眼を細めてネジの横顔を見上げている。

「ごめんなさい…だって、ネジ兄さん。すごく不本意そうに顔を顰めているから…」

 水も滴るいい男…という諺もあるけれど、ここまで濡れそぼってしまうと二枚目も、形無しだった。
 長い黒髪が、広い背中へ絡みつくようにへばりつき、袖回りに余裕のあるゆったりとした衣服は、水を吸って重く身動きしづらそうだった。

「しょうがないでしょう…まさか、これほど早く降り出すと思わなかったのですから」

 ネジは、優美な眉を顰め、ヒナタに指摘されるまでもなく不機嫌なオーラを醸し出している。

『貴女を雨に濡らすはめになってしまったのが、気に入らない――』

 とは、声に出して言えるわけもなく。

「…二人して濡れ鼠だね」

 ネジの気持ちを知ってか知らずなのか、ヒナタは何故か妙に楽しげに微笑んでいる。

 常に冷静沈着。
 百年にひとりの天才といわれたネジが、たかだか書簡ひとつ(日向家当主からの品で、重要なモノではあったが)を手渡すのに手こずり、ご老人の手管に捕まって帰る機会を逸し、尚且つ天候を見誤る姿などそうそうない。
 二人は、雨が降り始める前に老人宅を出たものの、結局バケツをひっくり返したような大雨の中を駆けてきたのだった。
 滝にでも打たれたように濡れそぼったヒナタの姿に、改めてネジの注意がいった。
 見れば、長く伸ばした藍色の髪から、水滴が玉のようにポタポタと滴り落ちている。
 夏場でさえも脱ぐ事のない長袖の服が、張り付くように重く身体を覆っていた。
 たしかに、二人して見事な濡れっぷりだった。

「ああ…そうでしたね」

 ネジは、思い出したように自分の服を見下ろした。
 無造作に頬へ貼りついた前髪をかき上げたネジは、そのまま手を伸ばして木ノ葉の額あてと、その下に巻きつけていた白い布を外す。

「……あ」

 ネジの額に刻まれた呪印を眼にしたヒナタの唇から、小さな声が漏れた。
 ネジは、そんなヒナタの反応を気にする事無く、自分が着ている上着のボタンへ手を伸ばし、濡れて重くなった衣服をテキパキと脱ぎ始めた。

「ネ、ネジ兄さん!?」

 突如、上半身裸になった従兄の姿に、ヒナタは仰天して慌てて手のひらで自分の眼を覆った。

「な、なんで…はっ裸に…服っ…きゃあ! まだ脱ぐの!?」

 下穿きにまで手をかけたのを横目にチラリと見てしまい、居ても立ってもいられず、ヒナタは耳まで真っ赤になって叫ぶ。

「ヒナタ様…」

 ワタワタと大騒ぎするヒナタを横目に、ネジは大袈裟な溜息を漏らした。

「はっ…はいっ! あ……ネジ兄さん?」

 冷静に名を呼ばれ、ヒナタは恐る恐る指の間から動揺したままの眼を覗かせる。

「せめて上着だけでも――服を乾かさないと、風邪をひかれますよ」

 いつのまに準備したのか、ネジは、生真面目な表情で、携帯用の簡易タオルをヒナタの目の前に差し出していた。
 至極、もっともな意見である。

「で…でも! その…」

 ネジの突発的な行動に動揺を隠せないまま、ヒナタは、モジモジと長袖の端を弄り回した。

「どうせ二人きりなのですから、かまわないでしょう?」

 恥ずかしがるヒナタを意に介する様子もなく、ネジは飄々とした口調で、サラリと大胆な事を発言した。

「ええ!?」

 思いもかけないネジの言葉に、素っ頓狂な声をあげたヒナタは、首筋までも真っ赤に染めて、ネジの顔を凝視する。

「きゃあ!」

 そして再び、ネジのあらわになった上半身を目撃して悲鳴をあげてしまう。
 普段は、長い衣で分かりづらいのだが、ネジの身体は細身でいて、よく引き締まっていた。
意外と広い胸板と、綺麗に割れた腹筋。
 その均整のとれた肉体から、日頃からネジがよく鍛錬している事が窺える。
 ネジの素肌を間近にして、ヒナタはまともに視線を定める事もできず、チラチラと忙しなく眼を動かした。

「…? ああ…ヒナタ様は、私と二人きりなのを、心配されているのですね?」

 ヒナタの赤くなったすべらかな頬を見下ろして、ネジはからかうようにクスリと笑う。
 よもや、自分の裸にこれほど動揺されるとは思っていなかった。
 意識すると、照れるよりもかえって可笑しくなってしまう。

「い…意地悪を言わないで下さい…。そ…そういうコトでは…ないの…です…が…」

 うにゃうにゃと語尾を濁して、ヒナタは、落ち着かない様子で視線をあらぬ方向へ泳がしている。

「意地悪で言っているわけではないのですが…」

 ネジは、困ったように肩を竦めた。
 とはいえ、二人きりの空間で緊張しまくるヒナタを思いやって、ズボンを脱ぐのは自重し、腰の周りに巻いていた布を外すだけに留めた。

「…っ、くしゅんッ…」

 慌てふためくのに忙しいヒナタが、ふいに小さくクシャミをした。

「ほら…身体が冷え始めたのでしょう?」

 ネジは、硬直しているヒナタを宥めるように苦笑する。
 冗談事ではなく、早く服を脱いで身体を温めなくては、本格的に体調を崩してしまう。

「大丈夫ですよ。ヒナタ様が着替えている間は、しっかりと目を瞑って、背を向けておきますから…」

 ネジは、ヒナタの緊張をほぐすように、大袈裟に肩を竦めてみせた。

『ネジ兄さんは、ただ…私の体調を心配してくれているだけなのに…私ったら一人で慌てちゃって…』

 ヒナタは、思い違いをした自分を恥じるように肩をすぼめた。

「う…うん…ありがとう」

 何も、服を全部脱ぐ必要はないのである。
 ネジとて、上半身は裸になっているけれど、ズボンはそのまま身につけているではないか…。

 ネジの前で素肌をさらす気恥ずかしさは残っていたが、ヒナタは、体調の自己管理も忍びの 勤めなのだと、自分に言い聞かせる。

「では…終わりましたら、お声をかけて下さい」

 ネジは、ヒナタの羞恥心を煽るような事はせず、紳士然として背を向けた。
 モソモソと上着を脱ぎ始めたヒナタから、さり気なく視線を外す。
 目を閉じたネジの背後で、重くなった上着のチャックを下げる音が響く。
 ほんの一瞬、固く閉ざした目蓋をピクリと動かしたネジは、フッと肩の力を抜くように小さく息を吐いた。
 背後にいるヒナタの気配を、無理やり意識の外へ押しやる。

「……」

 降り止まぬ雨の音だけが、外の世界から隔絶された室内に満ちていた。










「ありがとう、ネジ兄さん。…そっちに行ってもいいかな?」

 ヒナタは、長いこと掛かって身繕いをし、なんとか体裁を保てる程度に心を落ち着かせた。

「どうぞ…。焚き火に、ちょうどいい乾燥した小枝がありましたので、火をおこしておきましたよ」

 ネジは、肩越しに声を返すと、ヒナタが居心地よく座れる場所を空ける。
 ヒナタは、携帯用の小さなタオルで、藍色の髪を拭いながら、オズオズとネジの隣へ腰掛けた。

「あったかいね…」

 ヒナタの表情がホッと緩み、溜息をつくような安堵の声が漏れた。
 燃え盛る焚き火の光りは、冷えた身体をじんわりと温めてくれた。
 外の雷雨の音が、木の壁一枚を隔てて、まだ吹き荒れている。
 暗がりの中、パチパチと小さな火花が散った。

「………」

 薄暗い場所で二人きり。
 どちらともなく口を噤み、奇妙な沈黙に支配されながら、時折パチンと火のはぜる音に耳をすませる。

「まだ、降っているね…」

 沈黙に居た堪れなくなったヒナタが、ポツリと呟いた。

「…そうですね」

 物思いに沈んでいる風のネジは、上の空でヒナタの声に応える。

「……」

 また、パタリと会話が途絶えてしまい、ヒナタは、焚き火の灯りを受けて輝く、ネジの横顔をチラリと盗み見る。
 ネジの白い額に刻まれた呪印が、濃くなった闇の中で、うっすらと浮かび上がっていた。

「呪印が気になりますか?」

 ヒナタの視線に気づいたのか、唐突に唇を開いたネジが掠れた声で呟く。

「――そういえば…昔も、こんな風に雨に打たれた事がありましたね」

「え…?」

 唐突に語り始めたネジの言葉に、ヒナタの記憶が追いつかず、戸惑った様子で眼を丸める。

「ヒナタ様が三つになられてから暫くした…春先の頃でした。今日ほどではなかったかもしれませんが…雨の中を歩かせて、貴女を濡れさせてしまった」

「あ…ヒザシ叔父様の…」

 ようやく過去の出来事に思い至ったヒナタが、遠い記憶の中の懐かしい名を呼ぶ。

「ええ…。今さら…と言われてしまうかもしれませんが…。折角、ヒナタ様が傘を持って迎えに来て下さったのに…あの時は、申し訳ありませんでした」

 苦い記憶を掘りおこしていたのか、ネジは痛みを堪えるように、フッと眼を眇める。
 か弱く儚かった少女への仕打ち。
 敬愛する父を亡くした苦しみを、怒りの感情のままに叩きつけた。
 自分自身の心の弱さを、今更ながら苦々しく思う。

「そんな! 私は、ずっと…後悔していたんです。あの日の事…ネジ兄さんの言葉から、逃げてしまった事…」

 ヒナタは、フルフルと緩やかに首を振り、苦しげに細められたネジの眼を真っ直ぐに見つめた。

「それだけではなく…。私は、二度も貴女を傷つけてしまった…」

 まだそれほど遠くない過去の出来事。
 雨の中の記憶と、中忍試験で対峙した時の二人の記憶。
 一度目は、拒絶の言葉で、二度目は、怨みの言葉と、そして身体へと叩きつけた怒り。
 華奢な少女の身体へと刻み込まれた痛み。
 苦悶に歪むヒナタの表情。
 血を吐き、崩れ落ちるその身体を。
 自分自身が犯した罪を、ネジは今でも覚えている。

 許されるはずがない――。
 否、自分自身が許せないのだ。

 今度こそ、約束を違えず…この大切な少女を、全身全霊でもって守るのだと、ネジは厳かな誓いを己の心に深く刻みこんでいた。
 忌まわしいだけだった父の死。
 それが、真実を伝えるヒアシの言葉によって、少なからず清算された今、全ての過去の記憶が、ネジの心を厳しく律した。

「ネジ兄さん……」

 ヒナタは、ネジの抱える痛みごと包み込むように微笑む。
 その眼差しは、儚げに見えても、凛とした強さを内に秘めていた。

「でも、あれは試合だったもの。私は、ネジ兄さんと戦えて、嬉しかったんだよ。今ならそう思えるの…」

 ヒナタの口から意外な言葉がとびだし、ネジは己の耳を疑った。

「え?」

「だって…ようやく、ネジ兄さんと同じトコロにまで追いつけたから…宗家の立場とか、違う世界なんかじゃなくて、私自身の力で、ネジ兄さんと戦えたから…」

 でも、見事に負けちゃったけどね…。
 ヒナタは、チロリと舌をだして、小さく苦笑した。

「…ヒナタ様……」

 ネジは、誇らしげに瞳を煌めかせるヒナタの姿に、ハッと言葉をのむ。

いつの間に、これほど強くおなりになったのか…。

 ヒナタは、ネジの視線にも瞳を逸らす事無く、真摯に見つめ返していた。
 あの時、失ったと思った『信頼』を、今でも取り戻せるのだろうか?
 幼かった頃と変わらぬヒナタの優しい眼差しが、ネジの中で凝っていた記憶の中の痛みを溶かしていく。
 あの頃とは違う。
 いつしか立派な大人の女性へと、成長したヒナタの姿があった。

 宗家に生まれた者ならば、一族の者の意思全てを受け入れなければいけない。
 それが、敬慕の念であれ、憎悪の言葉であれ…。

 弱さも、強さも、その小さな身に秘めた誇り高き少女。
 そのしなやかな心を、ネジは畏敬の念さえ擁いて、眩しげに見つめた。

 愛しい…と、想う。

 けれどこの想いは、今はまだ明かすわけにはいかない。
 己の感情のままヒナタに触れれば、また傷つけてしまうかもしれない…。

「貴女に酷い事をしてしまった…」

 ネジは、口元を微かに歪ませる。
 熱い感情の波が、静めた胸の内で漣のように湧き上がる。

「もう傷は治っているよ?」

 ヒナタは、未だに過去の対戦を苦悩するネジを労わるように、朗らかに笑う。

 大丈夫だから…。

 柔らかく笑みを浮かべて呟く唇に、ネジの視線が吸い寄せられる。

『貴女の優しさに甘えて…また、貴女を傷つけてしまいそうです』

 ネジは、肩の筋肉を強張らせ苦しげに咽喉の奥で呻いた。
 今更ながらに、薄着のヒナタの身体を意識する。
 欲しかったものが、目の前にある。
 厳しい精神鍛錬を行っていようとも、ネジとて、若くしなやかな肉体を持つ青年だった。
 ネジは、ヒナタの首筋をなぞるように、ついっと手を伸ばした。
 抱きしめた途端に、華奢な身体を、壊してしまいそうだ。
 その白い肌にネジの指が触れるか、触れないかのわずかな距離。

「ひゃうんっ!」

 思いもかけずヒナタの唇から甘い声があがる。

「ヒナタ様?」

 魅力的な唇から漏れた甘く心地よい音色。
 そのあまりの威力に、間近で耳にしたネジの方が驚いて硬直する。

「み、耳の後ろはダメなの! くすぐったいよ。ネジ兄さん」

 真っ赤になって後ずさりしたヒナタは、耳元をしっかり手で押さえてガードしている。

「し、失礼しました…」

 ネジも、慌てて伸ばしかけた手を引っ込めた。

「う…ううん…だ、大丈夫…」

 プルプルと横に首を振るヒナタであったが、心なしかネジの隣から身体がジリジリと逃げている。
 先ほどの沈黙とは、明らかに異なる雰囲気に、お互い居心地悪げに距離を置いた。

「え、えーと。そろそろ雨がやみそうだね…」

 ネジの顔をまともに見られず、ヒナタは上擦った声で話しながら、小雨になりだした外の様子を窺う

「そうですね。この程度の小雨なら、時期にやみそうですね…」

 同じように外の様子を窺ったネジは、ヒナタの言葉に頷く。
 何事もなかったかのように振舞うネジに、ヒナタは、ホッと胸を撫で下ろした。

『抱き寄せられるかと思った。ネジ兄さんは、きっとそんなつもりじゃないのに、あんな声だしちゃうなんて…、はっ、恥ずかしい…』

 自己反省するのに夢中になっていたヒナタは、横を向いているネジの頬が、薄っすらと赤らんでいたのを、ついに最後まで気づかなかった。










 雨宿りしてから小一時間ほどして、いつやむとも知れぬ豪雨は、いつの間にか通り過ぎていた。

「雨がやんだようですね…」

「う…うん…」

 ヒナタは、一足先に外へ逃げ出したが、この時ばかりは致し方ないだろう。
 まだ少し小雨がパラパラと落ちていたが、水分を含んだ新鮮な外の空気を胸いっぱいに吸い込む。
 雲がきれ、青空の覗いた場所から、サンサンと太陽の光りが差し込む。
 眩しい陽射しが、雨に濡れた濃い緑を、明るく煌めかせていた。

「あ…虹…? ネジ兄さん、見て! あそこに…」

 ヒナタの指差す先に、ボンヤリと浮かぶ儚い夢のような光りの帯。
 ヒナタの言葉に手を引かれるように、ネジも、暗い場所から一歩を踏み出した。

「ああ…本当だ」

 目を細めて見上げると、雨上がりの空に輝く虹。
 たしかな色の軌跡が、美しく弧を描いていた。

「…綺麗だね」

 ヒナタは、嬉しそうに呟く。

「虹を見るのは久しぶりです。美しいものですね…」

 頷きながらネジは、そっとヒナタの横顔を見つめた。
 肩が触れるほどの距離。
 今はまだ、これ以上望む事はない。

「早く帰らないと、ハナビ様がヤキモキしていらっしゃるのでは?」

 ネジは、儚い虹の光りを魅入られたように見つめるヒナタへ声をかけた。

「うん…。でも、もうちょっとだけ…、虹が消えるまで…ね。いいでしょう? ネジ兄さん…」

 ヒナタは、期待を込めて傍らに寄り添う優しい従兄を見上げた。

「あまり遅くなってはいけませんので…虹が消えるまでですよ?」

 ネジは、従妹のささやかな我侭に小さく苦笑する。

「ありがとう。ネジ兄さん」

 雨に濡れた草の上を、ゆっくりと歩き始めた二人は、空に浮かんだその自然の奇跡を、心ゆくまで見つめたのだった。







 
すいぞくかん 水乃えんり 筆
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